人のためになるという信念
ものごとというのは、見る角度によって、いろいろな見え方というのがあります。
よかれと思ってやったことが、別の角度から見ている人からは、悪意のある行動として見えたり。別の意図をもつものと邪推されたり。
今回の震災や原発事故をめぐる行動でも、善意で動いたものが、悪意を持って取られ、悲しい思いをした方も多いのではないでしょうか。
ただ、善意をもって動いたものが、悪意と取られたからといって、その行動をやめてしまっていいものでしょうか?
人が何かを主張すれば、それに反する主張は当然でてきます。どんなに考えに考え抜いて「これが正しいと思うのだ」と探し出した答えでも、それを批判するための部分を探すというのは、以外にたやすいものです。
しかし、自分の主張に、反論があるからといって、主張をやめてしまっていいものでしょうか? それが正しいと信じるなら、主張を続けるべきだと思います。
多くの人に支持されるような主張。その主張の持つ力が強ければ強いほど、それに反する人も多いものではないでしょうか。
私は、何かを主張するときに一番大切にしているのは、信念です。「その行動が人のためになるかどうか」
「誰か人を救う」という信念があれば、反論があろうと、反対者の非難の矢面に立とうと、本望だと。私は思っています。