いわき市台風被害掲示板★南相馬、浪江町、双葉町、錦、勿来等 -3ページ目

いわき市の失敗談を役立てられないでしょうか

 熊本で大きな地震があり、地元の方々が苦しんでおられます。大きな被害にあわれた方々、ご家族を亡くされた方々にお悔み申し上げます。


 福島から何か、助けられることはないでしょうか?


 東日本大震災の時は、平競輪に集められた物資が効果的に市民のもとに届かずに、市民から不満の声が上がったし、まじめに対応していた市職員の方々も苦しまれたと思います。


 想像するに、せっかくの浄財を、公平に市民に届けたいと思うあまりに、配給に逡巡し、そんなことの繰り返しで不幸な状態に陥ってしまったことと思います。誠実に、公平に仕事に取り組もうとすればするほど、起こりがちなことだと思います。


 熊本でも、支援物資が体育館に積み上げられているような映像がテレビで流されていました。これは、どうするべきなのか、いわき市役所で経験された方々が、「こういう時は、こうした方がいい」と反省も込めて、アドバイスすることはできないでしょうか。(公平さは後回しにして、多少の不公平は覚悟の上で、どんどん、欲しがっている被災者に差し出すべきだと思います)


 東日本大震災で起こった失敗は、こういう時に役立ててこそ意味があるのではないかと思います。だれか、清水市長に進言してあげてください。いわき市役所の関係者が、テレビや新聞などの報道を見て気づいたことは、どんどん発信すべきです。


 NHKの関係者にこれを読んでいる人がいたら、上層部に、「いわき市役所の配給担当者に、失敗談も交えて発言、アドバイスをする場を与えてほしいい」と進言してみてもらえないでしょうか。

復興コンサート

 昨日15日、石巻で東北ゆかりのミュージシャンが演奏するNHK主催の復興コンサートがあり、そこにバンド仲間のピアニスト・及川ジョージさんが出るというので、NHKFMの生放送を聴いていました。



 及川さんはエリカさんというサックス奏者と一緒にジャズの曲を数曲やりまして、よかったのですが、その後にやった熊谷育美さんという人の歌がとてもよくて、感激してしまいました。気仙沼のご出身だそうで、東北にもこんな素晴らしいミュージシャンがいるんだなあと驚きました。


https://www.youtube.com/watch?v=suri4Y9XgPY



 ↑ この曲は、私が今まで聴いた復興ソングの中でピカイチでした。


 この人の後にやったハウンドドックの大友康平さんがかすんでしまうほとでした。(青葉城恋歌も聴きたかったですが、さとう宗幸さんは出ませんでした)



いわきで復興コンサートをやる時は、ぜひこの熊谷育美さんを呼んで下さい。必見です。

 

埼玉県越谷市と松伏町の突風被害

 埼玉県越谷市で竜巻と思われる突風被害があり、多くの方が寝る場所もないような危機に陥っています。


 東日本大震災では、多くの福島県民が埼玉スーパーアリーナを始め、埼玉県内に避難しました。越谷市も、市が被災者の生活を支援する条例を作り、市民のボランティア団体も被災者を助けてくれたとうかがっております。また、越谷市から南相馬市と富岡町に支援物資が送られてきたそうです。

 松伏町の皆さんもいろいろと助けてくれました。


 とてもお世話になった地域の方々だと思います。


 苦境にある越谷市と松伏町の被災者の皆さんに何か助けになることができないものでしょうか。

ブログ更新終了のお知らせ

 事情により、当ブログの更新を終了させていただきます。

 (震災のボランティアや支援関係の連絡で使用なさる読者の方のために、コメント機能は今後も使えるように残しておきますので、お使いください)

フラガール



先日、「ミヤネ屋」でいわきの復興祭の様子を特集していました。

 常磐ハワイアンセンター(スパリゾートハワイアンズ)が出来た当時のいわき市の苦境と、現在の苦境を重ね合わせて、復興を応援するないようでした。

 そのイベント中でこの曲を歌う姿が紹介されていました。

 この曲は、確か、映画「フラガール」の最後に出演者のテロップが流れる中で出てきたエンディング曲です。映画ではインストでしたが、このイベントではこれに歌詞がつけられて歌われていました。

 テレビをぼーっと見ていたので定かではありませんが、歌い手の照屋実穂さんは、歌詞の最後「大地に光を 果てしない夢を 太陽にキスを 変わらぬ 瞳を」の部分を、確か、「大地に光を 果てしない夢を 太陽にキスを 福島に夢を」と歌っていたように聞こえました。

 録画していないので確認できませんが。

蓄積疲労

 最近、疲れたなあと感じることが多くなった。体力には自信があり、普通の人の3倍は活動できるぐらいの自信があったのだが、このごろ身体が重いのだ。


 理由を考えたら、思い当たることがあった。


 震災後、ニュースに原発や、放射能関係のニュースに敏感になった。テレビや新聞、ネットの最新ニュースはどうしても気になってしまう。地震が起これば、実家は大丈夫か。福島第一原発のあたりは揺れていないかと気になってしまう。


 そういうニュースを気にしながら、通常の仕事をする。


 家に帰ってきたも、放射能関連の番組をやっているとみてしまうし、ネットも四六時中、チェックしている。



 そんなことを繰り返してきたために、疲れがたまってしまったようだ。今までの生活以外に、福島や放射能、原発についてつねに気にしている。二重生活という感じだ。


 かといって、放っておけないし。(ある意味、日々の仕事より、重大な問題が多すぎる)

東電は、周辺住民の当面の危険を回避することより、債務超過しないことの方が重要なのか

 東電は、周辺住民の当面の危険を回避することより、債務超過しないことの方が重要なんでしょうか。お金の工面ができなかったら、当面の危険もほったらかしにするってこと?


 それなら、早く東電をつぶして、国家管理にしてもらいたい。


http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110620dde001040004000c.html



東電が出費を渋って手をこまぬいている間にも、われわれの故郷への汚染はどんどん進んでいるのです。

「実は・・・」っていうのが怖いので

 先週末は、いわきの実家に帰っていました。


 平の街も、だいぶ活気が出てきたようで。


 ただ、放射線値が多少気になります。


 放射線値は右肩下がりで、原子炉建屋からでている湯気についても、覆いを作るそうで。今後、また、大きく放射線値が上がる可能性も低そうです。


 ということは、これまでに放出された放射性物質、特に地震直後の爆発で飛び散ったものが、どんな悪影響を周囲の環境に及ぼすかが問題となるのかもしれません。


 それと、汚染水ですね。これが、海と浜辺と地下水、川に、どんな影響を与えるかです。


 海水に入った放射性物質は希釈され、空気中のものも拡散されるので、とりあえず、大人が生活することに関しては大丈夫と考えていいかもしれません。


 ただ、赤ちゃんや小さなお子さん、妊娠している女性に関しては、慎重な対応がなおも必要かもしれません。


 一時は、「いわきのまちは、もう住めなくなるのもしれない」と深刻な状況に悩んだものですが、どうやら、「また、住めるようになりそう」という感じになってきました。


 ただ、私の家内も、子供もいわきに遊びに行くことに関してはやはり、逡巡しているようです。


 そりゃそうです。これまで、「実は、こうだったんだよね」なんていうことがたくさん後になって発表されたわけで。


 「実は、メルトダウンしてたんだよね」とか。「実は、メルトスルーも起こしてたんだよね」とか。


 今後、「実は、いわきの本当の放射線値は、もっと高かったんだよね」なんてことを後になってから発表されたら怖いので、とりあえず、あと半年ぐらいは様子をみてから家族をいわきに連れて行こうと思う、今日この頃です。


 

人のためになるという信念

 ものごとというのは、見る角度によって、いろいろな見え方というのがあります。


 よかれと思ってやったことが、別の角度から見ている人からは、悪意のある行動として見えたり。別の意図をもつものと邪推されたり。


 今回の震災や原発事故をめぐる行動でも、善意で動いたものが、悪意を持って取られ、悲しい思いをした方も多いのではないでしょうか。


 ただ、善意をもって動いたものが、悪意と取られたからといって、その行動をやめてしまっていいものでしょうか?


 人が何かを主張すれば、それに反する主張は当然でてきます。どんなに考えに考え抜いて「これが正しいと思うのだ」と探し出した答えでも、それを批判するための部分を探すというのは、以外にたやすいものです。


 しかし、自分の主張に、反論があるからといって、主張をやめてしまっていいものでしょうか? それが正しいと信じるなら、主張を続けるべきだと思います。


 多くの人に支持されるような主張。その主張の持つ力が強ければ強いほど、それに反する人も多いものではないでしょうか。


 私は、何かを主張するときに一番大切にしているのは、信念です。「その行動が人のためになるかどうか」


 「誰か人を救う」という信念があれば、反論があろうと、反対者の非難の矢面に立とうと、本望だと。私は思っています。

建屋を開放したら、放射性物質が出ないの?

 この記事。何か違和感がある。↓


http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110609-OYT1T00897.htm?from=main4



 高濃度の放射性物質が充満している原子炉建屋を開放したら、高濃度の放射性物質は周囲に漏れ出す。


 もちろん、充満したままじゃあ復旧作業ができないから、「開放」という手続きは必要なんだろうけど、開放して高濃度の放射性物質を周辺にまき散らすなら、周辺住民に理解を求めるという手順を踏むのがスジではないだろうか?


 日本は、いつから、周辺住民の理解を得なくても高濃度の放射性物質をまき散らしていい国になったんだ?


 もう、いっぱいまき散らしているから、今更、理解を求めなくてもいいだろうと、そういうことでしょうか?


 これほど、周辺住民をバカにした話もない。